「正信偈以前」感想メールご紹介


 何通かお便りをいただいていますが、恐縮ですが、その中から2通、代表して掲載させていただきます。

  下巻での広瀬先生の「興福寺奏状」をめぐる鋭利な
 問題意識に目をみはる思いがしました。視点の置き方に
 よって、こんなにも新しい地平が開かれるのかと
 驚いています。

 「『正信偈』以前」は、通勤の車中でも拝読いたしまして読了いたし、また、気になるところは自宅で拾い読みもして、指摘されていることの重大性を感ずる次第です。廣瀬先生が問題提起されていることは、やはり、「信心の反省」ということにあると言えると思います。このことは、なかなか難しい問題でして、特に「寺」「教団」にに身を置いている者にとっては、「自然と出てくる」ということにはならないだけに、実に厄介なことであると思います。「教団に身を置く」とは、単に「僧侶」ということだけではなく、「門徒」としての「自覚」をもって、寺との関係を良好に持っておられる人をも含みます。

(中略)

 私にしますと、「『正信偈』以前」の問題は、「南無阿弥陀仏」という「言葉」を日本語として意識できないということにあるのではないかと、ずーっと思っています。「坊さん」に「南無阿弥陀仏って、現代日本語にすると、どういう表現になるの?」とやりますと、ぐだらぐだらと、わかっているのかわかっていないのかわからない表現で、そういうことを問う私の在り方に、「責任を転嫁」します。「不可説」「不可称」「不可思議」とか、なんだとかいうのですが、それは「はたらき」について親鸞聖人がおっしゃっていることでして、おそらく「意味内容」のことではないはずです。私は、「バッカじゃないの?」と思ってしまうわけで、「南無阿弥陀仏」をそのまま「信じる」なんて、「あんた、日本人なの?」と思っちゃうわけです。
 冗談っぽく申していますが、ついでに申せば、「南無阿弥陀仏をそのままで信じる」ということを勧めてきたのが、「寺」「教団」の歴史でもあるわけです。今現在もそうでありましょう。そういう意味では、民衆を愚弄し、支配してきたのが「南無阿弥陀仏をそのまま信じる」ということをモットーとしてきたのが「寺」「教団」ということです。「寺で生活してきた者が、南無阿弥陀仏の生活をしていない」にも係らず、民衆に「南無阿弥陀仏の生活」を勧めてきたのではないですか。「坊さん自身が、南無阿弥陀仏を意識化できない」のなら、「権力化」するしかないですよ。なにしろ「寺」を抱えているのですから。
 私は、一応は真宗大谷派の坊さんで通っていますが、再往するならば、真宗大谷派の本山からは「みそっかす」です。在家出身の「坊主」なんて、本山からすれば「員数外」です。それはそれで別に構わないのですが、私自身の問題からするならば、やはり、「南無阿弥陀仏に対する不信」ということがあります。これはまさしく「闡提」といことになるのでありましょうし、「唯除」されるべき者でありましょう。
 ある意味では、私は、「理性的人間」です。その私が、理性では「南無阿弥陀仏」という「表現」、そういう「呪文的表現」を拒否しているのですが、その「理性的」な私が、不思議なことですが同時に、切実に「意識化できる南無阿弥陀仏」を求めているようなのです。「意識化できる南無阿弥陀仏」ということは、「現代日本語表現にまでなった南無阿弥陀仏」ということです。あるいは「現代日本語に応じてあらわれてくださる南無阿弥陀仏」でもいいでしょう。むろん「その言葉」が、「信心」と同時に「信心の自己批判」まで促すような言葉であるはずです。
 私は「頭が高い」ですから、こういうことを真宗大谷派(広い意味で)に要求しているのです。私にしてみれば、『正信偈』が問題になる以前に「南無阿弥陀仏」が問題になってこなければ、本当に『正信偈』を問題にしきれないのではないかと思われます。なぜならば、『正信偈』を問題にすることでの根本に「南無阿弥陀仏」をもってこなければ、
  なぜ問題であるのか
ということの検証ができないからです。我田引水的に申せば、廣瀬先生が提起しておられることは、ここに帰結するのではないかと思えます。7回の講座を通しまして、私はいよいよもって
  「現代日本語に応じてあらわれてくださる南無阿弥陀仏」
を求める気持ちが強くなりました。

  廣瀬先生の講座がいちおう終わりまして4年も経ちましたので、おそらく「富山聞光会」での、「これを受けての活動」も進んでいることと存じます。私にも質的に関係することですが、「講義録」を出版することから本当に出発が始まるのではないでしょうか。これがなかなか厳しいことでして、私も、校正中の「講義録」、出来上がってきた「講義録」の再読の度に、何か背筋の寒くなる思いがします。いくら読んでも、歩みだすことがなかなかできないのですね。本当の「親鸞聖人の門徒」には、なれませんねえ。