「真宗門徒にとって、一番大切なことは、 どういうことでしょうか」 先月も、真剣な問いかけがありました。 宿題をいただいて、身が引き締まります。 今回は、聖徳太子と親鸞聖人との関わりについて、あわせて、学んでみたいと思っています。 寺は念仏の道場です。 どうぞ、お誘い合わせ、おいでください。 |
1999年8月28日(土)
出席者15名 奉仕団に参加された方々が加わる。
建長八歳 丙辰 二月九日夜寅時、釈蓮位夢想の告に云わく、聖徳太子、親鸞聖人を礼したてまつりましましてのたまわく、「敬礼大慈阿弥陀仏
為妙教流通来生者 五濁悪時悪世界中 決定即得無上覚也。」 しかれば祖師聖人、弥陀如来の化現にてましますという事明らかなり。 |
建長八歳(丙辰) 二月九日の夜寅の時(十日の午前四時ごろ)蓮位が夢の告げを受けて次のように言った。「聖徳太子が親鸞聖人を礼拝されておっしゃるには「大慈大悲の阿弥陀仏に敬って礼す 妙なる教えを広めるために来れしものは 「五濁悪時悪世界」の只中で 決定してすなわち無上の覚を得ている」 しかれば親鸞聖人が、阿弥陀如来の化身として現れていらっしゃるということが明らかである。」 |
分量が少ないので、以下のプリントを加える。
聖徳太子 574?-622しょうとくたいし 飛鳥(あすか)時代の中心的政治家,思想家。父は用明天皇,母は穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后。幼名は厩戸豊聡耳(うまやどのとよとみみ)皇子。のち上宮(じょうぐう)王ともいう。592年に即位した推古天皇の摂政として仏教を基調とした政治を行った。603年冠位十二階を定め,翌年には十七条憲法を制定した。607年小野妹子(いもこ)を派遣し隋(ずい)との対等の国交を開き,留学生・留学僧を送って大陸文化の導入に努めた。仏教に対しては深い理解と信仰を示し,その著作とされる《三経義疏(さんぎょうぎしょ)》には独自の解釈がうかがわれ,法隆寺・四天王(してんのう)寺・中宮寺・橘寺・広隆寺・法起(ほっき)寺・妙安寺の7寺を建立したといわれる。 六角堂 ろっかくどう
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1,問題提起
@聖徳太子とはどういう人物だったのかを確認し、太子が親鸞聖人を礼拝するとはどういうことなのか、考える。 A聖人が「弥陀如来の化現」とあるが、弥陀と親鸞聖人とを、同一視してよいのであろうか。 御影堂の形態は、聖人を「生身の弥陀」としていると言えるのではないか。 報恩講は聖人の徳を讃える、大切な行事だが、その儀式はこうした宗祖観を基底として営まれている。 その意味で、宗祖観を確認していかなければならない。 廟所として、我々の先輩たちが、教えにあうことができた、その感謝の気持ちを確認する場所とも言えるかもしれないが。 |
2,座談会
@聖徳太子と我々の生活との関わりを確認 |
3,感想
○出席者が、同じようなそれぞれの主張を、繰り返す傾向が出てきた。互いに話し合うような形には、なかなかなりにくい。
○御伝鈔は、聖人の讃仰や門徒の心得が中心で、教義などが非常に少ない。短い文言に焦点を当てないと、信仰談義にはなりにくい。